療の方法がない。他目《よそめ》にももどかしいほど回復もおそかった。
「お民、おれは王滝《おうたき》まで出かけて行って来るぜ。あとのことは、清助さんにもよく頼んで置いて行く。」
 と半蔵は妻に言って、父の病を祷《いの》るために御嶽《おんたけ》神社への参籠《さんろう》を思い立った。王滝村とは御嶽山のすそにあたるところだ。木曾の総社の所在地だ。ちょうど街道も参覲交代制度変革のあとをうけ、江戸よりする諸大名が家族の通行も一段落を告げた。半蔵はそれを機会に、往復数日のわずかな閑《ひま》を見つけて、医薬の神として知られた御嶽の神の前に自分を持って行こうとした。同時に、香蔵の京都行きから深く刺激された心を抱いて、激しい動揺の渦中《かちゅう》へ飛び込んで行ったあの友だちとは反対に、しばらく寂しい奥山の方へ行こうとした。


 王滝の方へ持って行って神前にささげるための長歌もできた。半蔵は三十一字の短い形の歌ばかりでなく、時おりは長歌をも作ったので、それを陳情|祈祷《きとう》の歌と題したものに試みたのである。
「いよいよ半蔵もお出かけかい。」
 と言ってそばへ来るのは継母のおまんだ。おまんは裏の隠居所と
前へ 次へ
全473ページ中435ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング