しい。父が発病の当時には、口も言うことができない、足も起《た》つことができない、手も動かすことができない。治療に手を尽くして、ようやく半身だけなおるにはなおった。父は日ごろ清潔好きで、自分で本陣の庭や宅地をよく掃除《そうじ》したが、病が起こってからは手が萎《しお》れて箒《ほうき》を執るにも不便であった。父は能筆で、お家流をよく書き、字体も婉麗《えんれい》なものであったが、病後は小さな字を書くこともできなかった。まるで七つか八つの子供の書くような字を書いた。この父の言葉に、おかげで自分も治療の効によって半身の自由を得た、幸いに食事も便事も人手をわずらわさないで済む、しかし箒と筆とこの二つを執ることの不自由なのは実に悲しいと。この嘆息を聞くたびに、半蔵は胸を刺される思いをして、あの友の香蔵のような思い切った行動は執れなかった。
八畳と三畳の二|部屋《へや》から成る味噌納屋《みそなや》の二階が吉左衛門の隠居所にあててある。そこに父は好きな美濃派の俳書や蜷川流《にながわりゅう》の将棋の本なぞをひろげ、それを朝夕の友として、わずかに病後をなぐさめている。中風患者の常として、とかくはかばかしい治
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