のであるという。
 青山家の古い屋敷は、もと石屋の坂をおりた辺にあった。由緒《ゆいしょ》のある武具馬具なぞは、寛永年代の馬籠の大火に焼けて、二本の鎗《やり》だけが残った。その屋敷跡には代官屋敷の地名も残ったが、尾張藩への遠慮から、享保《きょうほう》九年の検地の時以来、代官屋敷の字《あざ》を石屋に改めたともいう。その辺は岩石の間で、付近に大きな岩があったからで。
 子供の時分の半蔵を前にすわらせて置いて、吉左衛門はよくこんな古い話をして聞かせた。彼はまた、酒の上のきげんのよい心持ちなぞから、表玄関の長押《なげし》の上に掛けてある古い二本の鎗の下へ小忰《こせがれ》を連れて行って、
「御覧、御先祖さまが見ているぞ。いたずらするとこわいぞ。」
 と戯れた。
 隣家の伏見屋なぞにない古い伝統が年若《としわか》な半蔵の頭に深く刻みつけられたのは、幼いころから聞いたこの父の炬燵話《こたつばなし》からで。自分の忰に先祖のことでも語り聞かせるとなると、吉左衛門の目はまた特別に輝いたものだ。
「代官造りという言葉は、地名で残っている。吾家《うち》の先祖が代官を勤めた時分に、田地を手造りにした場所だというの
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