でこの街道にあらわれて来るようになった。旧暦三月のよい季節を迎えて見ると、あの江戸の方で上巳《じょうみ》の御祝儀を申し上げるとか、御能《おのう》拝見を許されるとか、または両山の御霊屋《おたまや》へ参詣《さんけい》するとかのほかには、人質も同様に、堅固で厳重な武家屋敷のなかにこもり暮らしていたどこの簾中《れんちゅう》とかどこの若殿とかいうような人たちが、まるで手足の鎖を解き放たれたようにして、続々帰国の旅に上って来るようになった。
越前の女中方、尾張の若殿に簾中、紀州の奥方ならびに女中方、それらの婦人や子供の一行が江戸の方から上って来て、いずれも本陣や問屋の前に駕籠《かご》を休めて行った。尾州の家中|成瀬隼人正《なるせはやとのしょう》の女中方、肥前島原の女中方、因州《いんしゅう》の女中方なぞの通行が続きに続いた。これが馬籠峠というところかの顔つきの婦人もある。ようやく山の上の空気を自由に吸うことができたと言いたげな顔つきのものもある。半蔵の家に一泊ときめて、五、六人で比丘尼寺《びくにでら》の蓮池《はすいけ》の方まで遊び回り、谷川に下帯|洗濯《せんたく》なぞをして来る女中方もある。
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