二人《ふたり》の隣人――吉左衛門と金兵衛とをよく比べて言う人に、中津川の宮川寛斎がある。この学問のある田舎《いなか》医者に言わせると、馬籠は国境《くにざかい》だ、おそらく町人|気質《かたぎ》の金兵衛にも、あの惣右衛門親子にも、商才に富む美濃人の血が混《まじ》り合っているのだろう、そこへ行くと吉左衛門は多分に信濃《しなの》の百姓であると。
吉左衛門が青山の家は馬籠の裏山にある本陣林のように古い。木曾谷の西のはずれに初めて馬籠の村を開拓したのも、相州三浦《そうしゅうみうら》の方から移って来た青山|監物《けんもつ》の第二子であった。ここに一宇を建立《こんりゅう》して、万福寺《まんぷくじ》と名づけたのも、これまた同じ人であった。万福寺殿昌屋常久禅定門《まんぷくじでんしょうおくじょうきゅうぜんじょうもん》、俗名青山次郎左衛門、隠居しての名を道斎《どうさい》と呼んだ人が、自分で建立した寺の墓地に眠ったのは、天正《てんしょう》十二年の昔にあたる。
「金兵衛さんの家と、おれの家とは違う。」
と吉左衛門が自分の忰《せがれ》に言って見せるのも、その家族の歴史をさす。そういう吉左衛門が青山の家を継いだこ
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