われるようになった。彼は貧困を征服しようとした親惣右衛門の心を飽くまでも持ちつづけた。誇るべき伝統もなく、そうかと言って煩《わずら》わされやすい過去もなかった。腕一本で、無造作に進んだ。
天明《てんめい》六年は二代目惣右衛門が五十三歳を迎えたころである。そのころの彼は、大きな造り酒屋の店にすわって、自分の子に酒の一番火入れなどをさせながら、初代在世のころからの八十年にわたる過去を思い出すような人であった。彼は親先祖から譲られた家督財産その他一切のものを天からの預かり物と考えよと自分の子に誨《おし》えた。彼は金銭を日本の宝の一つと考えよと誨《おし》えた。それをみだりにわが物と心得て、私用に費やそうものなら、いつか「天道《てんどう》」に泄《も》れ聞こえる時が来るとも誨えた。彼は先代惣右衛門の出発点を忘れそうな子孫の末を心配しながら死んだ。
伏見屋の金兵衛は、この惣右衛門親子の衣鉢《いはつ》を継いだのである。そういう金兵衛もまた持ち前の快活さで、家では造り酒屋のほかに質屋を兼ね、馬も持ち、田も造り、時には米の売買にもたずさわり、美濃の久々里《くくり》あたりの旗本にまで金を貸した。
前へ
次へ
全473ページ中41ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング