、夜番の行燈《あんどん》を軒先へかかげるにも毎朝夜明け前に下掃除《したそうじ》を済まし、同じ布で戸障子《としょうじ》の敷居などを拭《ふ》いたのも、そのかみさんだ。貧しさにいる夫婦二人のものは、自分の子供らを路頭に立たせまいとの願いから、夜一夜ろくろく安気《あんき》に眠ったこともなかったほど働いた。
そのころ、本家の梅屋では隣村湯舟沢から来る人足たちの宿をしていた。その縁故から、初代夫婦はなじみの人足に頼んで、春先の食米《くいまい》三斗ずつ内証で借りうけ、秋米《あきまい》で四斗ずつ返すことにしていた。これは田地を仕付けるにも、旅籠屋《はたごや》片手間では芝草の用意もなりかねるところから、麦で少しずつ刈り造ることに生活の方法を改めたからで。
初代惣右衛門はこんなところから出発した。旅籠屋の営業と、そして骨の折れる耕作と。もともと馬籠にはほかによい旅籠屋もなかったから、新宅と言って泊まる旅人も多く、追い追いと常得意の客もつき、小女《こおんな》まで置き、その奉公人の給金も三分がものは翌年は一両に増してやれるほどになった。飯米《はんまい》一升買いの時代のあとには、一俵買いの時代も来、後には馬
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