。旅人相手の街道に目をつけて、旅籠屋《はたごや》の新築を思い立ったのは、この初代が二十八、九のころにあたる。そのころの馬籠は、一|分《ぶ》か二分の金を借りるにも、隣宿の妻籠《つまご》か美濃の中津川まで出なければならなかった。師走《しわす》も押し詰まったころになると、中津川の備前屋《びぜんや》の親仁《おやじ》が十日あまりも馬籠へ来て泊まっていて、町中へ小貸《こが》しなどした。その金でようやく村のものが年を越したくらいの土地|柄《がら》であった。
 四人の子供を控えた初代惣右衛門夫婦の小歴史は、馬籠のような困窮な村にあって激しい生活苦とたたかった人たちの歴史である。百姓の仕事とする朝草《あさくさ》も、春先青草を見かける時分から九月十月の霜をつかむまで毎朝二度ずつは刈り、昼は人並みに会所の役を勤め、晩は宿泊の旅人を第一にして、その間に少しずつの米商いもした。かみさんはまたかみさんで、内職に豆腐屋をして、三、四人の幼いものを控えながら夜通し石臼《いしうす》をひいた。新宅の旅籠屋《はたごや》もできあがるころは、普請《ふしん》のおりに出た木の片《きれ》を燈《とぼ》して、それを油火《あぶらび》に替え
前へ 次へ
全473ページ中38ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング