》藩主|松平春嶽《まつだいらしゅんがく》は政事総裁の職に就《つ》くようになった。これまで幕府にあってとかくの評判のあった安藤対馬《あんどうつしま》、およびその同伴者なる久世大和《くぜやまと》の二人《ふたり》は退却を余儀なくされた。天朝に対する過去の非礼を陳謝し、協調の誠意を示すという意味で、安藤久世の二人は隠居|急度慎《きっとつつし》みの罰の薄暗いところへ追いやられたばかりでなく、あれほどの大獄を起こして一代を圧倒した井伊大老ですら追罰を免れなかった。およそ安政、万延のころに井伊大老を手本とし、その人の家の子郎党として出世した諸有司の多くは政治の舞台から退却し始めた。あるものは封《ほう》一万石を削られ、あるものは禄《ろく》二千石を削られた。あるものはまた、隠居、蟄居《ちっきょ》、永蟄居《えいちっきょ》、差扣《さしひか》えというふうに。
この周囲の空気の中で、半蔵は諸街道宿駅の上にまであらわれて来るなんらかの改変を待ち受けながら、父が健康の回復を祈っていた。発病後は父も日ごろ好きな酒をぱったりやめ、煙草《たばこ》もへらし、わずかに俳諧《はいかい》や将棋の本なぞをあけて朝夕の心やりとして
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