藩の注意をひかずには置かない。ようやく危惧《きぐ》の念を抱き始めたものもある。強い刺激を受けたものもある。こういう中にあって、薩長二藩の京都手入れから最も強い刺激を受けたものは、言うまでもなく幕府側にある人たちであらねばならない。従来幕府は事あるごとに京都に向かって干渉するのを常とした。今度勅使の下向《げこう》を江戸に迎えて見ると、かねて和宮様御降嫁のおりに堅く約束した蛮夷防禦《ばんいぼうぎょ》のことが勅旨の第一にあり、あわせて将軍の上洛《じょうらく》、政治の改革にも及んでいて、幕府としては全く転倒した位置に立たせられた。干渉は実に京都から来た。しかも数百名の薩摩隼人《さつまはやと》を引率する島津久光を背景にして迫って来た。この干渉は幕府にある上のものにも下のものにも強い衝動を与えた。その衝動は、多年の情実と弊害とを払いのけることを教えた。もっと政治は明るくしなければだめだということを教えた。
時代はおそろしい勢いで急転しかけて来た。かつて岩瀬肥後が井伊大老と争って、政治|生涯《しょうがい》を賭《と》してまで擁立しようとした一橋慶喜《ひとつばしよしのぶ》は将軍の後見に、越前《えちぜん
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