ギリスのアールコックにせよ、彼らに接して滞ることなく、屈することもなく、外国公使らの専横を挫《くじ》いて、凜然《りんぜん》とした態度を持ち続けたことにかけては、老中の右に出るものはなかったと言い出したものもあった。
 幕府はすでに憚《はばか》るべき人と、憚るべき実《じつ》とがない。井伊大老は斃《たお》れ、岩瀬肥後は喀血《かっけつ》して死し、安藤老中までも傷ついた。四方の侮りが競うように起こって来て、儒者は経典の立場から、武士剣客は士道の立場から、その他医者、神職、和学者、僧侶《そうりょ》なぞの思い思いに勝手な説を立てるものがあっても、幕府ではそれを制することもできないようになって来た。この中で、露国《ろこく》の船将が対馬尾崎浦《つしまおざきうら》に上陸し駐屯《ちゅうとん》しているとの報知《しらせ》すら伝わった。港は鎖《とざ》せ、ヨーロッパ人は打ち攘《はら》え、その排外の風がいたるところを吹きまくるばかりであった。

       四

 一人《ひとり》の旅人が京都の方面から美濃の中津川まで急いで来た。
 この旅人は、近くまで江戸桜田邸にある長州の学塾|有備館《ゆうびかん》の用掛《ようが
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