う処置するつもりであろうという意味のことも書いてあり、万一|攘夷《じょうい》を名として旗を挙《あ》げるような大名が出て来たら、それこそ実に危急の時である、幕府では皇国の風俗というものを忘れてはならぬ、君臣上下の大義をわきまえねばならぬ、かりそめにも天朝の叡意《えいい》にそむくようなところが見えたら、忠臣義士の輩《ともがら》は一人も幕府のために身命をなげうつものはあるまいという意味のことも書きのこしてあったという。
これらの刺客の多くが水戸人であることもわかって来た。いずれも三十歳前後の男ざかりで、中には十九歳の青年がこの要撃に加わっていたこともわかって来た。安藤対馬の災難は不思議にもその傷が軽くて済んだが、多くの人の同情は生命拾《いのちびろ》いをした老中よりも、現場に斃《たお》れた青年たちの上に集まる。しかし、その人の傷ついたあとになって見ると、一方には世間の誤解や無根の流言がこの悲劇を生む因《もと》であったと言って、こんなに思い詰めた壮士らの暴挙を惜しむと言い出したものもあった。安藤対馬その人を失ったら、あれほど外交の事に当たりうるものは他に見いだせない、アメリカのハリスにせよ、イ
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