ある。幕府の老中らは宮様の御降嫁をもって協調の実《じつ》を挙《あ》ぐるに最も適当な方法であるとし、京都所司代の手を経《へ》、関白《かんぱく》を通して、それを叡聞《えいぶん》に達したところ、帝にはすでに有栖川《ありすがわ》家と御婚約のある宮様のことを思い、かつはとかく騒がしい江戸の空へ年若な女子を遣《つか》わすのは気づかわれると仰せられて、お許しがなかった。この御結婚には宮様も御不承知であった。ところが京都方にも、公武合体の意見を抱《いだ》いた岩倉具視《いわくらともみ》、久我建通《くがたてみち》、千種有文《ちぐさありぶみ》、富小路敬直《とみのこうじひろなお》なぞの有力な人たちがあって、この人たちが堀河《ほりかわ》の典侍《てんじ》を動かした。堀河の典侍は帝の寵妃《ちょうひ》であるから、この人の奏聞《そうもん》には帝も御耳を傾けられた。宮様には固く辞して応ずる気色《けしき》もなかったが、だんだん御乳の人|絵島《えしま》の言葉を聞いて、ようやく納得せらるるようになった。年若な宮様は健気《けなげ》にも思い直し、自ら進んで激しい婦人の運命に当たろうとせられたのである。
この宮様は婿君《むこぎみ》
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