初めてこんなものを見ました。おばあさんに一つ分けていただいて、馬籠の方へも持って行って見せましょう。」
とお民が言う。
「そいつは、よした方がいい。」
寿平次は兄らしい調子で妹を押しとどめた。
文久元年の六月を迎えるころで、さかんな排外熱は全国の人の心を煽《あお》り立てるばかりであった。その年の五月には水戸藩浪士らによって、江戸|高輪東禅寺《たかなわとうぜんじ》にあるイギリス公使館の襲撃さえ行なわれたとの報知《しらせ》もある。その時、水戸側で三人は闘死し、一人《ひとり》は縛に就《つ》き、三人は品川で自刃《じじん》したという。東禅寺の衛兵で死傷するものが十四人もあり、一人の書記と長崎領事とは傷ついたともいう。これほど攘夷《じょうい》の声も険しくなって来ている。どうして飯田の商人がくれた横浜土産の一つでも、うっかり家の外へは持ち出せなかった。
お民が馬籠をさして帰って行く日には、寿平次も半蔵の父に用事があると言って、妹を送りながら一緒に行くことになった。彼には伊那《いな》助郷《すけごう》の願書の件で、吉左衛門の調印を求める必要があった。野尻《のじり》、三留野《みどの》はすでに調
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