深い打撃であった。
翌|文久《ぶんきゅう》元年の二月には、半蔵とお民は本陣の裏に焼け残った土蔵のなかに暮らしていた。土蔵の前にさしかけを造り、板がこいをして、急ごしらえの下竈《したへっつい》を置いたところには、下女が炊事をしていた。土蔵に近く残った味噌納屋《みそなや》の二階の方には、吉左衛門夫妻が孫たちを連れて仮住居《かりずまい》していた。二間ほど座敷があって、かつて祖父半六が隠居所にあててあったのもその二階だ。その辺の石段を井戸の方へ降りたところから、木小屋、米倉なぞのあるあたりへかけては、火災をまぬかれた。そこには佐吉が働いていた。
旧暦二月のことで、雪はまだ地にある。半蔵は仮の雪隠《せっちん》を出てから、焼け跡の方を歩いて、周囲を見回した。上段の間、奥の間、仲の間、次の間、寛《くつろ》ぎの間、店座敷、それから玄関先の広い板の間など、古い本陣の母屋《もや》の部屋《へや》部屋は影も形もない。灰寄せの人夫が集まって、釘《くぎ》や金物の類《たぐい》を拾った焼け跡には、わずかに街道へ接した塀《へい》の一部だけが残った。
さしあたりこの宿場になくてかなわないものは、会所(宿役人寄合
前へ
次へ
全473ページ中307ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング