くの人を驚かした。そのうわさもまた一つの流言を生んだ。安藤対馬はひそかに外国人と結託している。英国公使アールコックに自分の愛妾《あいしょう》まで与え許している、堀織部はそれを苦諫《くかん》しても用いられないので、刃《やいば》に伏してその意を致《いた》したというのだ。流言は一編の偽作の諫書にまでなって、漢文で世に行なわれた。堀織部の自殺を憐《あわれ》むものが続々と出て来て、手向《たむ》けの花や線香がその墓に絶えないというほどの時だ。
 だれもがこんな流言を疑い、また信じた。幕府の威信はすでに地を掃《はら》い、人心はすでに徳川を離れて、皇室再興の時期が到来したというような声は、血気|壮《さか》んな若者たちの胸を打たずには置かなかった。
 その年の八月には、半蔵は名高い水戸《みと》の御隠居(烈公)の薨去《こうきょ》をも知った。吉左衛門親子には間接な主人ながらに縁故の深い尾張藩主(徳川|慶勝《よしかつ》)をはじめ、一橋慶喜《ひとつばしよしのぶ》、松平春嶽《まつだいらしゅんがく》、山内容堂《やまのうちようどう》、その他安政大獄当時に幽屏《ゆうへい》せられた諸大名も追い追いと謹慎を解かれる日を迎え
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