雑が静まったのは、半月ほど前にあたる。浦賀へ押し寄せて来た唐人船も行くえ知れずになって、まずまず恐悦《きょうえつ》だ。そんな報知《しらせ》が、江戸方面からは追い追いと伝わって来たころだ。
吉左衛門は金兵衛を相手に、伏見屋の店座敷で話し込んでいると、ちょうどそこへ警護の武士を先に立てた尾張の家中の一隊が西から街道を進んで来た。吉左衛門と金兵衛とは談話《はなし》半ばに伏見屋を出て、この一隊を迎えるためにほかの宿役人らとも一緒になった。尾張の家中は江戸の方へ大筒《おおづつ》の鉄砲を運ぶ途中で、馬籠の宿の片側に来て足を休めて行くところであった。本陣や問屋の前あたりは檜木笠《ひのきがさ》や六尺棒なぞで埋《うず》められた。騎馬から降りて休息する武士もあった。肌《はだ》脱ぎになって背中に流れる汗をふく人足たちもあった。よくあの重いものをかつぎ上げて、美濃境《みのざかい》の十曲峠《じっきょくとうげ》を越えることができたと、人々はその話で持ちきった。吉左衛門はじめ、金兵衛らはこの労苦をねぎらい、問屋の九太夫はまた桝田屋《ますだや》の儀助らと共にその間を奔《はし》り回って、隣宿妻籠までの継立てのことを斡
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