て通行の前触れだ。間もなくこの街道では江戸出府の尾張《おわり》の家中を迎えた。尾張藩主(徳川|慶勝《よしかつ》)の名代《みょうだい》、成瀬《なるせ》隼人之正《はやとのしょう》、その家中のおびただしい通行のあとには、かねて待ち受けていた彦根の家中も追い追いやって来る。公儀の御茶壺《おちゃつぼ》同様にとの特別扱いのお触れがあって、名古屋城からの具足《ぐそく》長持《ながもち》が十棹《とさお》もそのあとから続いた。それらの警護の武士が美濃路《みのじ》から借りて連れて来た人足だけでも、百五十人に上った。継立《つぎた》ても難渋であった。馬籠の宿場としては、山口村からの二十人の加勢しか得られなかった。例の黒船はやがて残らず帰って行ったとやらで、江戸表へ出張の人たちは途中から引き返して来るものがある。ある朝|馬籠《まごめ》から送り出した長持は隣宿の妻籠《つまご》で行き止まり、翌朝中津川から来た長持は馬籠の本陣の前で立ち往生する。荷物はそれぞれ問屋預けということになったが、人馬継立ての見分《けんぶん》として奉行《ぶぎょう》まで出張して来るほど街道はごたごたした。
狼狽《ろうばい》そのもののようなこの混
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