》の説を唱えた二人の幕僚、藤田東湖《ふじたとうこ》、戸田蓬軒《とだほうけん》なども遠見《とおみ》のきく御隠居の見識に服して、自分らの説を改めるようになった。そこへ安政の大地震が来た。一藩の指導者は二人とも圧死を遂げた。御隠居は一時に両《ふた》つの翼を失ったけれども、その老いた精神はますます明るいところへ出て行った。御隠居の長い生涯《しょうがい》のうちでも岩瀬肥後にあったころは特別の時代で、御隠居自身の内部に起こって来た外国というものの考え直しもその時代に行なわれた。
しかし、岩瀬肥後にとっては、彼が一生のつまずきになるほどの一大珍事が出来《しゅったい》した。十三代将軍(徳川|家定《いえさだ》)は生来多病で、物言うことも滞りがちなくらいであった。どうしてもよい世嗣《よつ》ぎを定めねばならぬ。この多事な日に、内は諸藩の人心を鎮《しず》め、外は各国に応じて行かねばならぬ。徳川宗室を見渡したところ、その任に耐えそうなものは、一橋慶喜《ひとつばしよしのぶ》のほかにない。ことに一代の声望並ぶもののないような水戸の御隠居が現にその父親であるのだから、諸官一同申し合わせて、慶喜擁立のことを上請するこ
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