――仙十郎にしても、半蔵にしても。」
 若者への関心にかけては、金兵衛とても吉左衛門に劣らない。アメリカのペリイ来訪以来のあわただしさはおろか、それ以前からの周囲の空気の中にあるものは、若者の目や耳から隠したいことばかりであった。殺人、盗賊、駈落《かけおち》、男女の情死、諸役人の腐敗|沙汰《ざた》なぞは、この街道でめずらしいことではなくなった。
 同宿三十年――なんと言っても吉左衛門と金兵衛とは、その同じ駅路の記憶につながっていた。この二人に言わせると、日ごろ上に立つ人たちからやかましく督促せらるることは、街道のよい整理である。言葉をかえて言えば、封建社会の「秩序」である。しかしこの「秩序」を乱そうとするものも、そういう上に立つ人たちからであった。博打《ばくち》はもってのほかだという。しかし毎年の毛付《けづ》け(馬市)を賭博場《とばくじょう》に公開して、土地の繁華を計っているのも福島の役人であった。袖《そで》の下はもってのほかだという。しかし御肴代《おさかなだい》もしくは御祝儀《ごしゅうぎ》何両かの献上金を納めさせることなしに、かつてこの街道を通行したためしのないのも日光への例幣使であ
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