扱いも親切だ。
寛斎は日に幾たびとなく裏二階の廊下を往《い》ったり来たりするうちに、目につく椎《しい》の風情《ふぜい》から手習いすることを思いついた。枝に枝のさした冬の木にながめ入っては、しきりと習字を始めた。そこへ宿の亭主が来て見て、
「オヤ、御用事のほかはめったにお出かけにならないと思いましたら、お手習いでございますか。」
「六十の手習いとはよく言ったものさね。」
「手前どもでも初めての孫が生まれまして、昨晩は七夜《しちや》を祝いました。いろいろごだごだいたしました。さだめし、おやかましかろうと存じます。」
こんな言葉も、この亭主の口から聞くと、ありふれた世辞とは響かなかった。横浜の海岸近くに大きな玉楠《たまぐす》の樹《き》がしげっている、世にやかましい神奈川条約はあの樹の下で結ばれたことなぞを語って見せるのも、この亭主だ。あの辺は駒形水神《こまがたすいじん》の杜《もり》と呼ばれるところで、玉楠《たまぐす》の枝には巣をかける白い鴉《からす》があるが、毎年冬の来るころになるとどこともなく飛び去ると言って見せるのも、この亭主だ。生糸の売り込みとはなんと言ってもよいところへ目をつけた
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