連中なぞは、一つ新開地の横浜へでも行って見ようという気分で出かけて来る時だ。そういう連中が持って来るような、二文か三文の資本《もとで》で仕入れられるおもちゃ[#「おもちゃ」は底本では「おもちや」]の類《たぐい》でさえ西洋人にはめずらしがられた。徳川大名の置き物とさえ言えば、仏壇の蝋燭立《ろうそくだ》てを造りかえたような、いかがわしい骨董品《こっとうひん》でさえ二両の余に売れたという。まだ内地の生糸商人はいくらも入り込んでいない。万屋《よろずや》安兵衛、大和屋李助《やまとやりすけ》なぞにとって、これは見のがせない機会だった。
 だんだん様子がわかって来た。神奈川在留の西洋人は諸国領事から書記まで入れて、およそ四十人は来ていることがわかった。紹介してもらおうとさえ思えば、適当な売り込み商の得られることもわかった。おぼつかないながらも用を達《た》すぐらいの通弁は勤まるというものも出て来た。
 やがて寛斎は安兵衛らと連れだって、一人の西洋人を見に行った。二十戸ばかりの異人屋敷、最初の居留地とは名ばかりのように隔離した一区域が神奈川台の上にある。そこに住む英国人で、ケウスキイという男は、横浜の海
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