も近在回りを主にして、病家から頼まれれば峠越しに馬籠《まごめ》へも行き、三留野《みどの》へも行き、蘭《あららぎ》、広瀬から清内路《せいないじ》の奥までも行き、余暇さえあれば本を読み、弟子《でし》を教えた。学問のある奇人のように言われて来たこの寛斎が医者の玄関も中津川では張り切れなくなったと言って、信州|飯田《いいだ》の在に隠退しようと考えるようになったのも、つい最近のことである。今度一緒に来た万屋《よろずや》の主人は日ごろ彼が世話になる病院先のことであり、生糸売り込みもよほどの高に上ろうとの見込みから、彼の力にできるだけの手伝いもして、その利得を分けてもらうという約束で来ている。彼ももう年をとって、何かにつけて心細かった。最後の「隠れ家《が》」に余生を送るよりほかの願いもなかった。
 さしあたり寛斎の仕事は、安兵衛らを助けて横浜貿易の事情をさぐることであった。新参の西洋人は内地の人を引きつけるために、なんでも買い込む。どうせ初めは金を捨てなければいけないくらいのことは外国商人も承知していて、気に入らないものでも買って見せる。江戸の食い詰め者で、二進《にっち》も三進《さっち》も首の回らぬ
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