。そこであっちの村から五本、こっちの村から三本、と続々届け出るものがある。役人らは毎日それを取り上げ、一軒の空屋《あきや》を借り受け、そのなかに積んで置いて、厳重な戸締まりをした。それが異人らの日常飲用する酒の空壜であるということすらわからなかったという。
すべてこの調子だ。籐椅子《とういす》が風のために漂着したと言っては不思議がり、寝椅子が一個漂着したと言っては不思議がった。ペリイ出帆の翌日、アメリカ側から幕府への献上物の中には、壜詰《びんづめ》、罐詰《かんづめ》、その他の箱詰があり、浦賀奉行への贈り物があったが、これらの品々は江戸へ伺い済みの上で、浦賀の波止場で焼きすてたくらいだ。後日の祟《たた》りをおそれたのだ。実際、寛斎が中津川の商人について神奈川へ出て来たのは、そういう黒船の恐怖からまだ離れ切ることができなかったころである。
ちょうど、時は安政大獄《あんせいのたいごく》のあとにあたる。彦根《ひこね》の城主、井伊掃部頭直弼《いいかもんのかみなおすけ》が大老の職に就《つ》いたころは、どれほどの暗闘と反目とがそこにあったかしれない。彦根と水戸。紀州と一橋《ひとつばし》。幕府内の
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