有司と有司。その結果は神奈川条約調印の是非と、徳川世子の継嗣問題とにからんであらわれて来た。しかもそれらは大きな抗争の序幕であったに過ぎぬ。井伊大老の期するところは沸騰した国論の統一にあったろうけれど、彼は世にもまれに見る闘士として政治の舞台にあらわれて来た。いわゆる反対派の張本人なる水戸の御隠居(烈公)を初め、それに荷担した大名有司らが謹慎や蟄居《ちっきょ》を命ぜられたばかりでなく、強い圧迫は京都を中心に渦巻《うずま》き始めた新興勢力の苗床《なえどこ》にまで及んで行った。京都にある鷹司《たかつかさ》、近衛《このえ》、三条の三公は落飾《らくしょく》を迫られ、その他の公卿《くげ》たちの関東反対の嫌疑《けんぎ》のかかったものは皆謹慎を命ぜられた。老女と言われる身で、囚人として江戸に護送されたものもある。民間にある志士、浪人、百姓、町人などの捕縛と厳刑とが続きに続いた。一人《ひとり》は切腹に、一人は獄門に、五人は死罪に、七人は遠島に、十一人は追放に、九人は押込《おしこめ》に、四人は所払《ところばら》いに、三人は手鎖《てじょう》に、七人は無構《かまいなし》に、三人は急度叱《きっとしか》りに。勤
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