《たくあん》なぞを味わいながら、赤松、落葉松《からまつ》の山林の多い浅間山腹がいかに郷里の方の谿《たに》と相違するかを聞かされた。曠野《こうや》と、焼け石と、砂と、烈風と、土地の事情に精通した名主の話は尽きるということを知らなかった。
しかし、そればかりではない。半蔵らが追分に送った一夜の無意味でなかったことは、思いがけない江戸の消息までもそこで知ることができたからで。その晩、文太夫が半蔵や寿平次に取り出して見せた書面は、ある松代《まつしろ》の藩士から借りて写し取って置いたというものであった。嘉永《かえい》六年六月十一日付として、江戸屋敷の方にいる人の書き送ったもので、黒船騒ぎ当時の様子を伝えたものであった。
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「このたび、異国船渡り来《きた》り候《そうろう》につき、江戸表はことのほかなる儀にて、東海道筋よりの早注進《はやちゅうしん》矢のごとく、よって諸国御大名ところどころの御堅め仰せ付けられ候。しかるところ、異国船|神奈川沖《かながわおき》へ乗り入れ候おもむき、御老中《ごろうじゅう》御屋敷へ注進あり。右につき、夜分急に御登城にて、それぞれ御下知《ごげち》仰せ付
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