》の図』なぞの壁にかけられたところで、やがて連中の付合《つけあい》があった。
主人役の金兵衛は、自分で五十韻、ないし百韻の仲間入りはできないまでも、
「これで、さぞ親父《おやじ》もよろこびましょうよ。」
と言って、弁当に酒さかななど重詰《じゅうづめ》にして出し、招いた人たちの間を斡旋《あっせん》した。
その日は新たにできた塚のもとに一同集まって、そこで吟声供養を済ますはずであった。ところが、記念の一巻を巻き終わるのに日暮れ方までかかって、吟声は金兵衛の宅で済ました。供養の式だけを新茶屋の方で行なった。
昔気質《むかしかたぎ》の金兵衛は亡父の形見《かたみ》だと言って、その日宗匠|崇佐坊《すさぼう》へ茶縞《ちゃじま》の綿入れ羽織なぞを贈るために、わざわざ自分で落合まで出かけて行く人である。
吉左衛門は金兵衛に言った。
「やっぱり君はわたしのよい友だちだ。」
五
暑い夏が来た。旧暦五月の日のあたった街道を踏んで、伊那《いな》の方面まで繭買いにと出かける中津川の商人も通る。その草いきれのするあつい空気の中で、上り下りの諸大名の通行もある。月の末には毎年福島の方に立
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