」、118−13]《ねずこ》の五種類が尾張藩の厳重な保護のもとにあったのだ。半蔵らは、名古屋から出張している諸役人の心が絶えずこの森林地帯に働いていることを知っていた。一石栃《いちこくとち》にある白木《しらき》の番所から、上松《あげまつ》の陣屋の辺へかけて、諸役人の目の光らない日は一日もないことを知っていた。
しかし、巣山、留山とは言っても、絶対に村民の立ち入ることを許されない区域は極少部分に限られていた。自由林は木曾山の大部分を占めていた。村民は五木の厳禁を犯さないかぎり、意のままに明山を跋渉《ばっしょう》して、雑木を伐採したり薪炭《しんたん》の材料を集めたりすることができた。檜木笠、めんぱ(木製|割籠《わりご》)、お六櫛《ろくぐし》、諸種の塗り物――村民がこの森林に仰いでいる生活の資本《もとで》もかなり多い。耕地も少なく、農業も難渋で、そうかと言って塗り物渡世の材料も手に入れがたいところでは、「御免《ごめん》の檜物《ひもの》」と称《とな》えて、毎年千数百|駄《だ》ずつの檜木を申し受けている村もある。あるいはまた、そういう木材で受け取らない村々では、慶長《けいちょう》年度の昔から谷
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