は言って、一枚の手形《てがた》を半蔵の前に置いた。関所の通り手形だ。それには安政三年十月として、宿役人の署名があり、馬籠宿の印が押してある。
「このお天気じゃ、あすも霜でしょう。半蔵も御苦労さまだ。」
 という継母にも、女の子のお粂《くめ》を抱きながら片手に檜木笠《ひのきがさ》を持って来てすすめる妻にも別れを告げて、やがて半蔵は勇んで家を出た。おふきは、目にいっぱい涙をためながら、本陣の女衆と共に門口に出て見送った。
 峠には、組頭《くみがしら》平助の家がある。名物|栗《くり》こわめしの看板をかけた休み茶屋もある。吉左衛門はじめ、組頭|庄兵衛《しょうべえ》、そのほか隣家の鶴松《つるまつ》のような半蔵の教え子たちは、峠の上まで一緒に歩いた。当時の風習として、その茶屋で一同別れの酒をくみかわして、思い思いに旅するものの心得になりそうなことを語った。出発のはじめはだれしも心がはやって思わず荒く踏み立てるものである、とかくはじめは足をたいせつにすることが肝要だ、と言うのは庄兵衛だ。旅は九日路《ここのかじ》のものなら、十日かかって行け、と言って見せるのはそこへ来て一緒になった平助だ。万福寺の松雲
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