面に明るいほど東の方の事情に通じてもいなかったが、それでも諸街道問屋の一人《ひとり》として江戸の道中奉行所《どうちゅうぶぎょうしょ》へ呼び出されることがあって、そんな用向きで二、三度は江戸の土を踏んだこともある。この父は、いろいろ旅の心得になりそうなことを子に教えた。寿平次のようなよい連れがあるにしても、若い者|二人《ふたり》ぎりではどうあろうかと言った。遠く江戸から横須賀辺までも出かけるには、伴《とも》の男を一人連れて行けと勧めた。当時の旅行者が馬や人足を雇い、一人でも多く連れのあるのをよろこび、なるべく隊伍《たいご》をつくるようにしてこの街道を往《い》ったり来たりするのも、それ相応の理由がなくてはかなわぬことを父は半蔵に指摘して見せた。
「ひとり旅のものは宿屋でも断わられるぜ。」
 とも注意した。
 かねて妻籠の本陣とも打ち合わせの上、出発の日取りも旧暦の十月上旬に繰りあげてあった。いよいよその日も近づいて、継母のおまんは半蔵のために青地《あおじ》の錦《にしき》の守り袋を縫い、妻のお民は晒木綿《さらし》の胴巻きなぞを縫ったが、それを見る半蔵の胸にはなんとなく前途の思いがおごそかに迫
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