かけてもその流れをくむものは少なくない。篤胤ののこした仕事はおもに八人のすぐれた弟子《でし》に伝えられ、その中でも特に選ばれた養嗣《ようし》として平田家を継いだのが当主|鉄胤《かねたね》であった。半蔵が入門は、中津川の宮川寛斎《みやがわかんさい》の紹介によるもので、いずれ彼が江戸へ出た上は平田家を訪《たず》ねて、鉄胤からその許しを得ることになっていた。
「お父《とっ》さんに賛成していただいて、ほんとにありがたい。長いこと私はこの日の来るのを待っていたようなものですよ。」
 と半蔵は先輩を慕う真実を顔にあらわして言った。同じ道を踏もうとしている中津川の浅見景蔵も、蜂谷香蔵も、さぞ彼のためによろこんでくれるだろうと父に話した。
「まあ、何も試みだ。」
 と吉左衛門は持ち前の大きな本陣鼻の上へしわを寄せながら言った。父は半蔵からいろいろと入門の手続きなぞを聞いたのみで、そう深入りするなとも言わなかった。
 安政の昔は旅も容易でなかった。木曾谷の西のはずれから江戸へ八十三里、この往復だけにも百六十六里の道は踏まねばならない。その間、峠を四つ越して、関所を二つも通らねばならない。吉左衛門は関西方
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