きたいと、口癖のようにそう言っていました。まあ、あの親父の供養《くよう》にと思って、わたしもこんなことを思い立ちましたよ。」
そう言って見せる金兵衛の案内で、吉左衛門も工作された石のそばに寄って見た。碑の表面には左の文字が読まれた。
送られつ送りつ果《はて》は木曾の龝《あき》 はせを
「これは達者《たっしゃ》に書いてある。」
「でも、この秋という字がわたしはすこし気に入らん。禾《のぎ》へんがくずして書いてあって、それにつくりが龜《かめ》でしょう。」
「こういう書き方もありますサ。」
「どうもこれでは木曾の蠅《はえ》としか読めない。」
こんな話の出たのも、一昔前《ひとむかしまえ》だ。
あれは天保十四年にあたる。いわゆる天保の改革の頃で、世の中建て直しということがしきりに触れ出される。村方一切の諸帳簿の取り調べが始まる。福島の役所からは公役、普請役《ふしんやく》が上って来る。尾張藩の寺社《じしゃ》奉行《ぶぎょう》、または材木方の通行も続く。馬籠の荒町《あらまち》にある村社の鳥居《とりい》のために檜木《ひのき》を背伐《せぎ》りしたと言って、その始末書を取られるような細かい干渉
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