を片づけて、秋らしい西の方の空の見えるところに席をつくった。馬籠と妻籠の両本陣の間には、宿場の連絡をとる上から言っても絶えず往来がある。半蔵が父の代理として木曾福島の役所へ出張するおりなぞは必ず寿平次の家を訪れる。その日は半蔵もめずらしくゆっくりやって来てくれた寿平次を自分の家に迎えたわけだ。
「まず、わたしの失敗話《しくじりばなし》から。」
 と寿平次が言い出した。
 お民は仲の間と囲炉裏ばたの間を往《い》ったり来たりして、茶道具なぞをそこへ持ち運んで来た。その時、寿平次は言葉をついで、
「ほら、この前、お訪《たず》ねした日ですねえ。あの帰りに、藤蔵《とうぞう》さんの家の上道を塩野へ出ましたよ。いろいろな細い道があって、自分ながらすこし迷ったかと思いますね。それから林の中の道を回って、下り坂の平蔵さんの家の前へ出ました。狸《たぬき》にでも化かされたように、ぼんやり妻籠へ帰ったのが八つ時《どき》ごろでしたさ。」
 半蔵もお民も笑い出した。
 寿平次はお民と二人《ふたり》ぎりの兄妹《きょうだい》で、その年の正月にようやく二十五歳|厄除《やくよ》けのお日待《ひまち》を祝ったほどの年ごろであ
前へ 次へ
全473ページ中132ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング