ごめ》の本陣の入り口には、伴《とも》を一人《ひとり》連れた訪問の客があった。
「妻籠《つまご》からお客さまが見えたぞなし。」
という下女の声を聞きつけて、お民は奥から囲炉裏《いろり》ばたへ飛んで出て来て見た。兄の寿平次だ。
「まあ、兄さん、よくお出かけでしたねえ。」
とお民は言って、奥にいる姑《しゅうとめ》のおまんにも、店座敷にいる半蔵にもそれと知らせた。広い囲炉裏ばたは、台所でもあり、食堂でもあり、懇意なものの応接間でもある。山家らしい焚火《たきび》で煤《すす》けた高い屋根の下、黒光りのするほど古い太い柱のそばで、やがて主客の挨拶《あいさつ》があった。
「これさ。そんなところに腰掛けていないで、草鞋《わらじ》でもおぬぎよ。」
おまんは本陣の「姉《あね》さま」らしい調子で、寿平次の供をして来た男にまで声をかけた。二里ばかりある隣村からの訪問者でも、供を連れて山路《やまみち》を踏んで来るのが当時の風習であった。ちょうど、木曾路は山の中に多い栗《くり》の落ちるころで、妻籠から馬籠までの道は楽しかったと、供の男はそんなことをおまんにもお民にも語って見せた。
間もなくお民は明るい仲の間
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