せ、師とする人を慕わせ、親のない村の子供にまで深い哀憐《あわれみ》を寄せさせた。彼がまだ十八歳のころに、この馬籠の村民が木曾山の厳禁を犯して、多分の木を盗んだり背伐《せぎ》りをしたりしたという科《とが》で、村から六十一人もの罪人を出したことがある。その村民が彼の家の門内に呼びつけられて、福島から出張して来た役人の吟味を受けたことがある。彼は庭のすみの梨《なし》の木のかげに隠れて、腰繩《こしなわ》手錠をかけられた不幸な村民を見ていたことがあるが、貧窮な黒鍬《くろくわ》や小前《こまえ》のものを思う彼の心はすでにそのころから養われた。馬籠本陣のような古い歴史のある家柄に生まれながら、彼の目が上に立つ役人や権威の高い武士の方に向かわないで、いつでも名もない百姓の方に向かい、従順で忍耐深いものに向かい向かいしたというのも、一つは継母《ままはは》に仕えて身を慎んで来た少年時代からの心の満たされがたさが彼の内部《なか》に奥深く潜んでいたからで。この街道に荷物を運搬する牛方仲間のような、下層にあるものの動きを見つけるようになったのも、その彼の目だ。

       五

「御免ください。」
 馬籠《ま
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