道にもあらわれて来た。村では遠く江戸から焼け出されて来た人たちに物を与えるものもあり、またそれを見物するものもある。月も末になるころには、吉左衛門は家のものを集めて、江戸から届いた震災の絵図をひろげて見た。一鶯斎国周《いちおうさいくにちか》画、あるいは芳綱《よしつな》画として、浮世絵師の筆になった悲惨な光景がこの世ながらの地獄《じごく》のようにそこに描き出されている。下谷広小路《したやひろこうじ》から金龍山《きんりゅうさん》の塔までを遠見にして、町の空には六か所からも火の手が揚がっている。右に左にと逃げ惑う群衆は、京橋|四方蔵《しほうぐら》から竹河岸《たけがし》あたりに続いている。深川《ふかがわ》方面を描いたものは武家、町家いちめんの火で、煙につつまれた火見櫓《ひのみやぐら》も物すごい。目もくらむばかりだ。
半蔵が日ごろその人たちのことを想望していた水戸の藤田東湖《ふじたとうこ》、戸田蓬軒《とだほうけん》なぞも、この大地震の中に巻き込まれた。おそらく水戸ほど当時の青年少年の心を動かしたところはなかったろう。彰考館《しょうこうかん》の修史、弘道館《こうどうかん》の学問は言うまでもなく、
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