別もなく、互いに食うものを分け、互いに着るものを心配し合う光景は、こんな非常時でなければ見られなかった図だ。
村民一同が各自の家に帰って寝るようになったのは、ようやく十一月の十三日であった。はじめて地震が来た日から数えて実に十日目に当たる。夜番に、見回りに、ごく困窮な村民の救恤《きゅうじゅつ》に、その間、半蔵もよく働いた。彼は伏見屋から大坂[#「大坂」は底本では「大阪」]地震の絵図なぞを借りて来て、それを父と一緒に見たが、震災の実際はうわさよりも大きかった。大地震の区域は伊勢《いせ》の山田辺から志州《ししゅう》の鳥羽《とば》にまで及んだ。東海道の諸宿でも、出火、潰《つぶ》れ家《や》など数えきれないほどで、宮《みや》の宿《しゅく》から吉原《よしわら》の宿までの間に無難なところはわずかに二宿しかなかった。
やがて、その年初めての寒さも山の上へやって来るようになった。一切を沈黙させるような大雪までが十六日の暮れ方から降り出した。その翌日は風も立ち、すこし天気のよい時もあったが、夜はまた大雪で、およそ二尺五寸も積もった。石を載せた山家の板屋根は皆さびしい雪の中に埋《うず》もれて行った。
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