れさ。元日に草履《ぞうり》ばきで年始が勤まったなんて、木曾《きそ》じゃ聞いたこともない。おまけに、寺道の向こうに椿《つばき》が咲き出す、若餅《わかもち》でも搗《つ》こうという時分に蓬《よもぎ》が青々としてる。あれはみんなこの地震の来る知らせでしたわい。なにしろ、吉左衛門さん、吾家《うち》じゃ仙十郎の披露《ひろう》を済ましたばかりで、まあおかげであれも組頭《くみがしら》のお仲間入りができた。わたしも先祖への顔が立った、そう思って祝いの道具を片づけているところへ、この地震でしょう。」
「申年《さるどし》の善光寺の地震が大きかったなんて言ったってとても比べものにはなりますまいよ、ほら、寅年《とらどし》六月の地震の時だって、こんなじゃなかった。」
「いや、こんな地震は前代未聞にも、なんにも。」
とりあえず宿役人としての吉左衛門や金兵衛が相談したことは、老人女子供以外の町内のものを一定の場所に集めて、火災盗難等からこの村を護《まも》ることであった。場所は問屋と伏見屋の前に決定した。そして村民一同お日待《ひまち》をつとめることに申し合わせた。天変地異に驚く山の中の人たちの間には、春以来江戸表や浦
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