が三番叟の美しかったことや、十二歳で初舞台を踏んだ鶴松が難波治郎作のいたいけであったことなぞは、村の人たちの話の種になって、そろそろ大根引きの近づくころになっても、まだそのうわさは絶えなかった。
 旧暦十一月の四日は冬至《とうじ》の翌日である。多事な一年も、どうやら滞りなく定例の恵比須講《えびすこう》を過ぎて、村では冬至を祝うまでにこぎつけた。そこへ地震だ。あの家々に簾《すだれ》を掛けて年寄りから子供まで一緒になって遊んだ祭りの日から数えると、わずか四十日ばかりの後に、いつやむとも知れないようなそんな地震が村の人たちを待っていようとは。
 吉左衛門の家では一同裏の竹藪《たけやぶ》へ立ち退《の》いた。おまんも、お民も、皆|足袋《たび》跣足《はだし》で、半蔵に助けられながら木小屋の裏に集まった。その時は、隠居はもはやこの世にいなかった。七十三の歳《とし》まで生きたあのおばあさんも、孫のお民が帯祝いの日にあわずじまいに、ましてお民に男の子の生まれたことも、生まれる間もなくその子の亡《な》くなったことも、そんな慶事と不幸とがほとんど[#「ほとんど」は底本では「ほんど」]同時にやって来たことも知
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