方へ出る深い森林の間も、よい芝居《しばい》を見たいと思う男や女には、それほど遠い道ではなかったのである。金兵衛もその一人だ。彼は秋の祭りの来るのを待ちかねて、その年の閏《うるう》七月にしばらく村を留守にした。伏見屋もどうしたろう、そう言って吉左衛門などがうわさをしているところへ、豊川《とよかわ》、名古屋、小牧《こまき》、御嶽《おんたけ》、大井《おおい》を経て金兵衛親子が無事に帰って来た。そのおりの土産話《みやげばなし》が芝居好きな土地の人たちをうらやましがらせた。名古屋の若宮の芝居では八代目市川団十郎が一興行を終わったところであったけれども、橘町《たちばなちょう》の方には同じ江戸の役者|三桝《みます》大五郎、関三十郎、大谷広右衛門などの一座がちょうど舞台に上るころであったという。
 九月も近づいて来るころには、村の若いものは祭礼狂言のけいこに取りかかった。荒町からは十一人も出て舞台へ通う村の道を造った。かねて金兵衛が秘蔵|子息《むすこ》のために用意した狂言用の大小の刀も役に立つ時が来た。彼は鶴松《つるまつ》ばかりでなく、上の伏見屋の仙十郎《せんじゅうろう》をも舞台に立たせ、日ごろの溜飲
前へ 次へ
全473ページ中103ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング