助郷《すけごう》の数もおびただしく、その弊害は覿面《てきめん》に飲酒|賭博《とばく》の流行にあらわれて来た。庄屋《しょうや》としての吉左衛門が宿役人らの賛成を得て、賭博厳禁ということを言い出し、それを村民一同に言い渡したのも、その年の馬市が木曾福島の方で始まろうとするころにあたる。
「あの時分はよかった。」
年寄役の金兵衛が吉左衛門の顔を見るたびに、よくそこへ持ち出すのも、「あの時分」だ。同じ駅路の記憶につながれている二人の隣人は、まだまだ徳川の代が平和であった時分のことを忘れかねている。新茶屋に建てた翁塚《おきなづか》、伏見屋の二階に催した供養の俳諧《はいかい》、蓬莱屋《ほうらいや》の奥座敷でうんと食ったアトリ三十羽に茶漬《ちゃづ》け三杯――「あの時分」を思い出させるようなものは何かにつけ恋しかった。この二人には、山家が山家でなくなった。街道はいとわしいことで満たされて来た。もっとゆっくり隣村の湯舟沢や、山口や、あるいは妻籠《つまご》からの泊まり客を家に迎え、こちらからも美濃の落合の祭礼や中津川あたりの狂言を見に出かけて行って、すくなくも二日や三日は泊まりがけで親戚《しんせき》知人
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