けられ、七日夜までに出陣の面々は左の通り。
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一、松平越前守《まつだいらえちぜんのかみ》様、(越前福井藩主)品川《しながわ》御殿山《ごてんやま》お堅《かた》め。
一、細川越中守《ほそかわえっちゅうのかみ》様、(肥後熊本藩主)大森村《おおもりむら》お堅め。
一、松平|大膳太夫《だいぜんだゆう》様、(長州藩主)鉄砲洲《てっぽうず》および佃島《つくだじま》。
一、松平|阿波守《あわのかみ》様、(阿州徳島藩主)御浜御殿《おはまごてん》。
一、酒井雅楽頭《さかいうたのかみ》様、(播州《ばんしゅう》姫路《ひめじ》藩主)深川《ふかがわ》一円。
一、立花左近将監《たちばなさこんしょうげん》様。伊豆大島《いずおおしま》一円。松平|下総守《しもうさのかみ》様、安房《あわ》上総《かずさ》の両国。その他、川越《かわごえ》城主松平|大和守《やまとのかみ》様をはじめ、万石以上にて諸所にお堅めのため出陣の御大名数を知らず。
公儀御目付役、戸川|中務少輔《なかつかさしょうゆう》様、松平|十郎兵衛《じゅうろべえ》様、右御両人は異国船見届けのため、陣場見回り仰せ付けられ、六日夜浦賀表へ御出立にこれあり候。
さて、このたびの異国船、国名相尋ね候ところ、北アメリカと申すところ。大船四|艘《そう》着船。もっとも船の中より、朝夕一両度ずつ大筒《おおづつ》など打ち放し申し候よし。町人並びに近在のものは賦役《ふえき》に遣《つか》わされ、海岸の人家も大方はうちつぶして諸家様のお堅め場所となり、民家の者ども妻子を引き連れて立ち退《の》き候もあり、米石《べいこく》日に高く、目も当てられず。実に戦国の習い、是非もなき次第にこれあり候。八日の早暁にいたり、御触れの文面左の通り。
一、異国船万一にも内海へ乗り入れ、非常の注進これあり候節は、老中より八代洲河岸《やしろすがし》火消し役へ相達し、同所にて平日の出火に紛れざるよう早鐘うち出《いだ》し申すべきこと。
一、右の通り、火消し役にて早鐘うち出し候節は、出火の通り相心得、登城の道筋その他相堅め候よういたすべきこと。
一、右については、江戸場末まで早鐘行き届かざる場合もこれあるべく、万石以上の面々においては早半鐘《はやはんしょう》相鳴らし申すべきこと。
右のおもむき、御用番御老中よりも仰せられ候。とりあえず当地のありさま申し上げ候。
以上。」
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実に、一息に、かねて心にかかっていたことが半蔵の胸の中を通り過ぎた。これだけの消息も、木曾の山の中までは届かなかったものだ。すくなくも、半蔵が狭い見聞の世界へは、漠然《ばくぜん》としたうわさとしてしかはいって来なかったものだ。あの彦根《ひこね》の早飛脚が一度江戸のうわさを伝えてからの混雑、狼狽《ろうばい》そのものと言うべき諸大名がおびただしい通行、それから引き続きこの街道に起こって来た種々な変化の意味も、その時思い合わされた。
「寿平次さん、君はこの手紙をどう思いますね。」
「さあ、わたしもこれほどとは思わなかった。」
半蔵は寿平次と顔を見合わせたが、激しい精神《こころ》の動揺は隠せなかった。
三
郷里を出立してから十一日目に三人は板橋の宿を望んだ。戸田川の舟渡しを越して行くと、木曾街道もその終点で尽きている。そこまでたどり着くと江戸も近かった。
十二日目の朝早く三人は板橋を離れた。江戸の中心地まで二里と聞いただけでも、三人が踏みしめて行く草鞋《わらじ》の先は軽かった。道中記のたよりになるのも板橋《いたばし》までで、巣鴨《すがも》の立場《たてば》から先は江戸の絵図にでもよるほかはない。安政の大地震後一年目で、震災当時多く板橋に避難したという武家屋敷の人々もすでに帰って行ったころであるが、仮小屋の屋根、傾いた軒、新たに修繕の加えられた壁なぞは行く先に見られる。三人は右を見、左を見して、本郷《ほんごう》森川宿から神田明神《かんだみょうじん》の横手に添い、筋違見附《すじかいみつけ》へと取って、復興最中の町にはいった。
「これが江戸か。」
半蔵らは八十余里の道をたどって来て、ようやくその筋違《すじかい》の広場に、見附の門に近い高札場《こうさつば》の前に自分らを見つけた。広場の一角に配置されてある大名屋敷、向こうの町の空に高い火見櫓《ひのみやぐら》までがその位置から望まれる。諸役人は騎馬で市中を往来すると見えて、鎗持《やりも》ちの奴《やっこ》、その他の従者を従えた馬上の人が、その広場を横ぎりつつある。にわかに講武所《こうぶしょ》の創設されたとも聞くころで、旗本《はたもと》、御家人《ごけにん》、陪臣《ばいしん》、浪人《ろうにん》に至るまでもけいこの志望者を募るなぞの物々しい空気が
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