蔵さんはため息ばかりついてるじゃありませんか。」
「でも、君には事務の執れるように具《そな》わってるところがあるからいい。」
「そう君のように、むずかしく考えるからさ。庄屋としては民意を代表するし、本陣問屋としては諸街道の交通事業に参加すると想《おも》って見たまえ。とにかく、働きがいはありますぜ。」
 囲炉裏ばたの方で焼く小鳥の香気は、やがて二人のいる座敷の方まで通って来た。夕飯には、下女が来て広い炬燵板《こたついた》の上を取り片づけ、そこを食卓の代わりとしてくれた。一本つけてくれた銚子《ちょうし》、串差《くしざ》しにして皿《さら》の上に盛られた鶫《つぐみ》、すべては客を扱い慣れた家の主人の心づかいからであった。その時、半蔵は次ぎの間に寛《くつろ》いでいる佐吉を呼んで、
「佐吉、お前もここへお膳《ぜん》を持って来ないか。旅だ。今夜は一杯やれ。」
 この半蔵の「一杯」が佐吉をほほえませた。佐吉は年若ながらに、半蔵よりも飲める口であったから。
「おれは囲炉裏ばたでいただかず。その方が勝手だで。」
 と言って佐吉は引きさがった。
「寿平次さん、わたしはこんな旅に出られたことすら、不思議のような気がする。実に一切から離れますね。」
「もうすこし君は楽な気持ちでもよくはありませんか。まあ、その盃《さかずき》でも乾《ほ》すさ。」
 若いもの二人《ふたり》は旅の疲れを忘れる程度に盃を重ねた。主人が馳走振《ちそうぶ》りの鶫も食った。焼きたての小鳥の骨をかむ音も互いの耳には楽しかった。
「しかし、半蔵さんもよく話すようになった。以前には、ほんとに黙っていたようですね。」
「自分でもそう思いますよ。今度の旅じゃ、わたしも平田入門を許されて来ました。吾家《うち》の阿爺《おやじ》もああいう人ですから、快く許してくれましたよ。わたしも、これで弟でもあると、家はその弟に譲って、もっと自分の勝手な方へ出て行って見たいんだけれど。」
「今から隠居でもするようなことを言い出した。半蔵さん――君は結局、宗教にでも行くような人じゃありませんか。わたしはそう思って見ているんだが。」
「そこまではまだ考えていません。」
「どうでしょう、平田先生の学問というものは宗教じゃないでしょうか。」
「そうも言えましょう。しかし、あの先生の説いたものは宗教でも、その精神はいわゆる宗教とはまるきり別のものです。」
「まるきり別のものはよかった。」
 炬燵話《こたつばなし》に夜はふけて行った。ひっそりとした裏山に、奈良井川の上流に、そこへはもう東木曾の冬がやって来ていた。山気は二人の身にしみて、翌朝もまた霜かと思わせた。


 追分《おいわけ》の宿まで行くと、江戸の消息はすでにそこでいくらかわかった。同行三人のものは、塩尻《しおじり》、下諏訪《しもすわ》から和田峠を越え、千曲川《ちくまがわ》を渡って、木曾街道と善光寺道との交叉点《こうさてん》にあたるその高原地の上へ出た。そこに住む追分の名主《なぬし》で、年寄役を兼ねた文太夫《ぶんだゆう》は、かねて寿平次が先代とは懇意にした間柄で、そんな縁故から江戸行きの若者らの素通りを許さなかった。
 名主文太夫は、野半天《のばんてん》、割羽織《わりばおり》に、捕繩《とりなわ》で、御領私領の入れ交《まじ》った十一か村の秣場《まぐさば》を取り締まっているような人であった。その地方にある山林の枯れ痛み、風折れ、雪折れ、あるいは枝卸しなどの見回りをしているような人であった。半蔵らはこの客好きな名主の家に引き留められて、佐久の味噌汁《みそしる》や堅い地大根《じだいこん》の沢庵《たくあん》なぞを味わいながら、赤松、落葉松《からまつ》の山林の多い浅間山腹がいかに郷里の方の谿《たに》と相違するかを聞かされた。曠野《こうや》と、焼け石と、砂と、烈風と、土地の事情に精通した名主の話は尽きるということを知らなかった。
 しかし、そればかりではない。半蔵らが追分に送った一夜の無意味でなかったことは、思いがけない江戸の消息までもそこで知ることができたからで。その晩、文太夫が半蔵や寿平次に取り出して見せた書面は、ある松代《まつしろ》の藩士から借りて写し取って置いたというものであった。嘉永《かえい》六年六月十一日付として、江戸屋敷の方にいる人の書き送ったもので、黒船騒ぎ当時の様子を伝えたものであった。
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「このたび、異国船渡り来《きた》り候《そうろう》につき、江戸表はことのほかなる儀にて、東海道筋よりの早注進《はやちゅうしん》矢のごとく、よって諸国御大名ところどころの御堅め仰せ付けられ候。しかるところ、異国船|神奈川沖《かながわおき》へ乗り入れ候おもむき、御老中《ごろうじゅう》御屋敷へ注進あり。右につき、夜分急に御登城にて、それぞれ御下知《ごげち》仰せ付
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