る。先代が木曾福島へ出張中に病死してからは、早く妻籠の本陣の若主人となっただけに、年齢《とし》の割合にはふけて見え、口のききようもおとなびていた。彼は背《せい》の低い男で、肩の幅で着ていた。一つ上の半蔵とそこへ対《むか》い合ったところは、どっちが年長《としうえ》かわからないくらいに見えた。年ごろから言っても、二人はよい話し相手であった。
「時に、半蔵さん、きょうはめずらしい話を持って来ました。」と寿平次は目をかがやかして言った。
「どうもこの話は、ただじゃ話せない。」
「兄さんも、勿体《もったい》をつけること。」とお民はそばに聞いていて笑った。
「お民、まあなんでもいいから、お父《とっ》さんやお母《っか》さんを呼んで来ておくれ。」
「兄さん、お喜佐さんも呼んで来ましょうか。あの人も仙十郎《せんじゅうろう》さんと別れて、今じゃ家にいますから。」
「それがいい、この話はみんなに聞かせたい。」


「大笑い。大笑い。」
 吉左衛門はちょうど屋外《そと》から帰って来て、まず半蔵の口から寿平次の失敗話《しくじりばなし》というのを聞いた。
「お父《とっ》さん、寿平次さんは塩野から下り坂の方へ出たと言うんですがね、どこの林をそんなに歩いたものでしょう。」
「きっと梅屋林の中だぞ。寿平次さんも狸《たぬき》に化かされたか。そいつは大笑いだ。」
「山の中らしいお話ですねえ。」
 とおまんもそこへ来て言い添えた。その時、お喜佐も挨拶《あいさつ》に来て、母のそばにいて、寿平次の話に耳を傾けた。
「兄さん、すこし待って。」
 お民は別の部屋《へや》に寝かして置いた乳呑児《ちのみご》を抱きに行って来た。目をさまして母親を探《さが》す子の泣き声を聞きつけたからで。
「へえ、粂《くめ》を見てやってください。こんなに大きくなりました。」
「おゝ、これはよい女の子だ。」
「寿平次さん、御覧なさい。もうよく笑いますよ。女の子は知恵のつくのも早いものですねえ。」
 とおまんは言って、お民に抱かれている孫娘の頭をなでて見せた。
 その日、寿平次が持って来た話というは、供の男を連れて木曾路を通り過ぎようとしたある旅人が妻籠の本陣に泊まり合わせたことから始まる。偶然にも、その客は妻籠本陣の定紋《じょうもん》を見つけて、それが自分の定紋と同じであることを発見する。※[#「穴かんむり/果」、第3水準1−89−51]《か》に木瓜《もっこう》がそれである。客は主人を呼びよせて物を尋ねようとする。そこへ寿平次が挨拶に出る。客は定紋の暗合に奇異な思いがすると言って、まだこのほかに替え紋はないかと尋ねる。丸《まる》に三《みっ》つ引《びき》がそれだと答える。客はいよいよ不思議がって、ここの本陣の先祖に相州《そうしゅう》の三浦《みうら》から来たものはないかと尋ねる。答えは、そのとおり。その先祖は青山|監物《けんもつ》とは言わなかったか、とまた客が尋ねる。まさにそのとおり。その時、客は思わず膝《ひざ》を打って、さてさて世には不思議なこともあればあるものだという。そういう自分は相州三浦に住む山上七郎左衛門《やまがみしちろうざえもん》というものである。かねて自分の先祖のうちには、分家して青山監物と名のった人があると聞いている。その人が三浦から分かれて、木曾の方へ移り住んだと聞いている。して見ると、われわれは親類である。その客の言葉は、寿平次にとっても深い驚きであった。とうとう、一夜の旅人と親類の盃《さかずき》までかわして、系図の交換と再会の日とを約束して別れた。この奇遇のもとは、妻籠と馬籠の両青山家に共通な※[#「穴かんむり/果」、第3水準1−89−51]《か》に木瓜《もっこう》と、丸に三つ引《びき》の二つの定紋からであった。それから系図を交換して見ると、二つに割った竹を合わせたようで、妻籠の本陣なぞに伝わらなかった祖先が青山監物以前にまだまだ遠く続いていることがわかったという。
「これにはわたしも驚かされましたねえ。自分らの先祖が相州の三浦から来たことは聞いていましたがね、そんな古い家がまだ立派に続いているとは思いませんでしたねえ。」と寿平次が言い添えて見せた。
「ハーン。」吉左衛門は大きな声を出してうなった。
「寿平次さん、吾家《うち》のこともそのお客に話してくれましたか。」と半蔵が言った。
「話したとも。青山監物に二人の子があって、兄が妻籠の代官をつとめたし、弟は馬籠の代官をつとめたと話して置いたさ。」
 何百年と続いて来た青山の家には、もっと遠い先祖があり、もっと古い歴史があった。しかも、それがまだまだ立派に生きていた。おまん、お民、お喜佐、そこに集まっている女たちも皆何がなしに不思議な思いに打たれて、寿平次の顔を見まもっていた。
「その山上さんとやらは、どんな人柄のお客さんでしたかい。
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