と衝突したのは、彼として決して偶然な出来事とも思われなかった。ちょうど利三郎は、尾州の用材を牛につけて、清水谷下《しみずだにした》というところにかかった時であったという。三人の雲助がそこへ現われて、竹の杖《つえ》で利三郎を打擲《ちょうちゃく》した。二、三か所も打たれた天窓《あたま》の大疵《おおきず》からは血が流れ出て、さすがの牛行司も半死半生の目にあわされた。村のものは急を聞いて現場へ駆けつけた。この事が宿方へも注進のあった時は、二人《ふたり》の宿役人が目証《めあかし》の弥平《やへえ》を連れて見届けに出かけたが、不幸な利三郎はもはや起《た》てない人であろうという。一事が万事だ。すべてこれらのことは、参覲交代《さんきんこうたい》制度の変革以来に起こって来た現象だ。
「憐《あわれ》むべき街道の犠牲。」
と半蔵は考えつづけた。上は浪人から、下は雲助まで、世襲過重の時代が生んだ特殊な風俗と形態とが目につくだけでも、なんとなく彼は社会変革の思いを誘われた。庄屋《しょうや》としての彼は、いろいろな意味から、下層にあるものを護《まも》らねばならなかった……
ふとわれに返ると、静かな読経《どきょう》の声が半蔵の耳にはいった。にわかに明るい日の光は、屋外《そと》にある杉《すぎ》の木立ちを通して、社殿に満ちて来た。彼は、単純な信仰に一切を忘れているような他の参籠者を目の前にながめながら、雑念の多い自己《おのれ》の身を恥じた。その夕方には、禰宜《ねぎ》が彼のそばへ来て、塩握飯《しおむすび》を一つ置いて行った。
四日目には半蔵はどうやら心願を果たし、神前に終わりの祷《いの》りをささげる人であった。たとい自己《おのれ》の寿命を一年縮めてもそれを父の健康に代えたい、一年で足りなくば二年三年たりともいとわないというふうに。
社殿を出るころは、雨が山へ来ていた。勝重は傘《かさ》を持って、禰宜《ねぎ》の家の方から半蔵を迎えに来た。乾燥した草木をうるおす雨は、参籠後の半蔵を活《い》き返るようにさせた。
「勝重さん、君はどうしました。」
社殿の外にある高い岩壁の下で、半蔵がそれを言い出した。彼も三日続いた沈黙をその時に破る思いだ。
「お師匠さま、お疲れですか。わたしは一日だけお籠《こも》りして、あとはちょいちょいお師匠さまを見に来ました。きのうはこのお宮のまわりをひとりで歩き回りました。い
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