くは、父のために祷《いの》ることを妨げさせた。彼の心は和宮様御降嫁のころに福島の役所から問い合わせのあった神葬祭の一条の方へ行ったり、国学者仲間にやかましい敬神の問題の方へ行ったりした。もっとも、多くの門弟を引きつれて来て峻嶮《しゅんけん》を平らげ、山道を拓《ひら》き、各国に信徒を募ったり、講中を組織したりして、この山のために心血をささげた覚明、普寛、一心、一山なぞの行者らの気魄《きはく》と努力とには、彼とても頭が下がったが。
終日|静座《せいざ》。
いつのまにか半蔵の心は、しばらく離れるつもりで来た馬籠の宿場の方へも行った。高札場がある。二軒の問屋場がある。伏見屋の伊之助、問屋の九郎兵衛、その他の宿役人の顔も見える。街道の継立《つぎた》ても困難になって来た。現に彼が馬籠を離れて来る前に、仙台侯《せんだいこう》が京都の方面から下って来た通行の場合がそれだ。あの時の仙台の同勢は中津川泊まりで、中通しの人足二百八十人、馬百八十|疋《ぴき》という触れ込みだった。継立ての混雑、請け負いのものの心配なぞは言葉にも尽くせなかった。八つ時過ぎまで四、五十|駄《だ》の継立てもなく、人足や牛でようやくそれを付け送ったことがある。
こんなことを思い浮かべると、街道における輸送の困難も、仙台侯の帰東も、なんとなく切迫して来た関東や京都の事情と関係のないものはない。時ならぬ鐘の音が馬籠の万福寺からあの街道へがんがん聞こえて来ている。この際、人心を善導し、天下の泰平を祷《いの》り、あわせて上洛《じょうらく》中の将軍のためにもその無事を祈れとの意味で、公儀から沙汰《さた》のあった大般若《だいはんにゃ》の荘厳《おごそか》な儀式があの万福寺で催されているのだ。手兼村《てがのむら》の松源寺、妻籠《つまご》の光徳寺、湯舟沢の天徳寺、三留野《みどの》の等覚寺、そのほか山口村や田立村の寺々まで、都合六か寺の住職が大般若に集まって来ているのだ。
物々しいこの空気を思い出しているうちに、半蔵の胸には一つの悲劇が浮かんで来た。峠村の牛行司《うしぎょうじ》で利三郎と言えば、彼には忘れられない男の名だ。かつて牛方事件の張本人として、中津川の旧問屋|角屋《かどや》十兵衛を相手に血戦を開いたことのある男だ。それほど腰骨《こしぼね》の強い、黙って下の方に働いているような男が、街道に横行する雲助《くもすけ》仲間
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