ナ、インド、遠くはオランダまで、外国の事物が日本に集まって来るのは、すなわち神の心であるというような、こんな広い見方がしてある。先師は異国の借り物をかなぐり捨てて本然《ほんねん》の日本に帰れと教える人ではあっても、むやみにそれを排斥せよとは教えてない。
この『静の岩屋』の中には、「夷《えびす》」という古言まで引き合いに出して、その言葉の意味が平常目に慣れ耳に触れるとは異なった事物をさしていうに過ぎないことも教えてある。たとえば、ありゃこりゃに人の前にすえた膳《ぜん》は「えびす膳」、四角であるべきところを四角でなく裁ち合わせた紙は「えびす紙」、元来外用の薬種とされた芍薬《しゃくやく》が内服しても病のなおるというところから「えびす薬」(芍薬の和名)というふうに。黒くてあるべき髪の毛が紅《あか》く、黒くてあるべき瞳《ひとみ》が青ければこそ、その人は「えびす」である、とも教えてある。
半蔵はひとり言って見た。
「師匠はやっぱり大きい。」
半蔵の心に描く平田篤胤とは、あの本居宣長を想《おも》い見るたびに想像せらるるような美丈夫という側の人ではなかった。彼はある人の所蔵にかかる先師の画像というものを見たことがある。広い角額《かくびたい》、大きな耳、遠いところを見ているような目、彼がその画像から受けた感じは割合に面長《おもなが》で、やせぎすな、どこか角張《かくば》ったところのある容貌《ようぼう》の人だ。四十台か、せいぜい五十に手の届く年ごろの面影《おもかげ》と見えて、まだ黒々とした髪も男のさかりらしく、それを天保《てんぽう》時代の風俗のような髻《たぶさ》に束ねてあった。それは見台をわきにした座像《ざぞう》で、三蓋菱《さんがいびし》の羽織《はおり》の紋や、簡素な線があらわした着物の襞※[#「ころもへん+責」、第3水準1−91−87]《ひだ》にも特色があったが、ことに、その左の手を寛《くつろ》いだ形に置き、右の手で白扇をついた膝《ひざ》こそは先師のものだ、と思って、心をとめて見た覚えがある。見台の上に、先師|畢生《ひっせい》の大きな著述とも言うべき『古史伝』稿本の一つが描いてあったことも、半蔵には忘れられなかった。あだかも、先師はあの画像から膝《ひざ》を乗り出して、彼の前にいて、「一切は神の心であろうでござる」とでも言っているように彼には思われて来た。
四
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