ぐい》もありて、良医これを用ひて病症に応ずればいちじるき効験《しるし》をあらはすもあれど、もとその薬性を知らず、又はその薬性を知りてもその用ふべきところを知らず、もしその病症に応ぜざれば大害を生じて、忽《たちま》ち人命をうしなふに至る。これは、譬《たと》へば、猿《さる》に利刀を持たせ、馬鹿《ばか》に鉄砲を放たしむるやうなもので、まことに危いことの甚《はなはだ》しいでござる。さて、その究理のくはしきは、悪《あ》しきことにはあらざれども、彼《か》の紅夷《あかえみし》ら、世には真《まこと》の神あるを知らず。人の智《ち》は限りあるを、限りなき万《よろ》づの物の理《ことわり》を考へ究《きわ》めんとするにつけては、強《し》ひたる説多く、元よりさかしらなる国風《くにぶり》なる故《ゆえ》に、現在の小理にかかはつて、かへつて幽神の大義を悟らず。それゆへにその説至つて究屈にして、我が古道の妨げとなることも多いでござる。さりながら、世間《せけん》の有様を考ふるに、今は物ごと新奇を好む風俗なれば、この学風も儒仏の道の栄えたるごとく、だんだんと弘《ひろ》まり行くことであらうと思はれる。しからんには、世のため、人のためとも成るべきことも多からうなれども、又、害となることも少なかるまいと思はれるでござる。是《これ》こそは彼《か》の吉事《よきこと》に是《こ》の凶事《まがごと》のいつぐべき世の中の道なるをもつて、さやうには推し量り知られることでござる。そもそもかく外国々《とつくにぐに》より万づの事物の我が大御国《おおみくに》に参り来ることは、皇神《すめらみかみ》たちの大御心にて、その御神徳の広大なる故《ゆえ》に、善《よ》き悪《あ》しきの選みなく、森羅万象《しんらばんしょう》ことごとく皇国《すめらみくに》に御引寄せあそばさるる趣きを能《よ》く考へ弁《わきま》へて、外国《とつくに》より来る事物はよく選み採りて用ふべきことで、申すも畏《かしこ》きことなれども、是《これ》すなはち大神等《おおみかみたち》の御心掟《みこころおきて》と思ひ奉られるでござる。」
 半蔵は深いため息をついた。それは、自分の浅学と固陋《ころう》とばか正直とを嘆息する声だ。先師と言えば、外国よりはいって来るものを異端邪説として蛇蝎《だかつ》のように憎みきらった人のように普通に思われているが、『静の岩屋』なぞをあけて見ると、近くは朝鮮、シ
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