つ》から東は板橋まで、宮様の前後を警衛するもの十二藩、道中筋の道固めをするもの二十九藩――こんな大げさな警衛の網が張られることになった。美濃の鵜飼《うがい》から信州|本山《もとやま》までの間は尾州藩、本山から下諏訪《しもすわ》までの間は松平丹波守《まつだいらたんばのかみ》、下諏訪から和田までの間は諏訪|因幡守《いなばのかみ》の道固めというふうに。
 十月の十日ごろには、尾州の竹腰山城守《たけごしやましろのかみ》が江戸表から出発して来て、本山宿の方面から順に木曾路の道橋を見分し、御旅館やお小休み所にあてらるべき各本陣を見分した。ちょうど馬籠では、吉左衛門も京都の方へ出かけた留守の時で、半蔵が父に代わってこの一行を迎えた。半蔵は年寄役金兵衛の付き添いで、問屋九太夫の家に一行を案内した。峠へはもう十月らしい小雨が来る。私事ながら半蔵は九太夫と言い争った会所の晩のことを思い出し、父が名代の勤めもつらいことを知った。


「伊之助さん、お継立ての御用米が尾州から四十八俵届きました。これは君のお父《とっ》さん(金兵衛)に預かっていただきたい。」
 半蔵が隣家の伊之助と共に街道に出て奔走するころには、かねて待ち受けていた御用の送り荷が順に到着するようになった。この送り荷は尾州藩の扱いで、奥筋のお泊まり宿へ送りつけるもの、その他|諸色《しょしき》がたくさんな数に上った。日によっては三留野《みどの》泊まりの人足九百人、ほかに妻籠《つまご》泊まりの人足八百人が、これらの荷物について西からやって来た。
「寿平次さんも、妻籠の方で目を回しているだろうなあ。」
 それを思う半蔵は、一方に美濃中津川の方で働いている友人の香蔵を思い、この際京都から帰って来ている景蔵を思い、その話をよく伊之助にした。馬籠では峠村の女馬まで狩り出して、毎日のようにやって来る送り荷の継立てをした。峠村の利三郎は牛行司《うしぎょうじ》ではあるが、こういう時の周旋にはなくてならない人だった。世話好きな金兵衛はもとより、問屋の九太夫、年寄役の儀助、同役の新七、同じく与次衛門《よじえもん》、それらの長老たちから、百姓総代の組頭《くみがしら》庄兵衛《しょうべえ》まで、ほとんど村じゅう総がかりで事に当たった。その時になって見ると、金兵衛の養子伊之助といい、九太夫の子息《むすこ》九郎兵衛といい、庄兵衛の子息庄助といい、実際に働ける
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