って造った二本マストもしくは一本マストの帆前船《ほまえせん》から、従来あった五大力《ごだいりき》の大船、種々な型の荷船、便船、漁《いさ》り船《ぶね》、小舟まで、あるいは碇泊《ていはく》したりあるいは動いたりしているごちゃごちゃとした光景が、鴉《からす》の群れ飛ぶ港の空気と煙とを通してそこに望まれた。二か所の波止場、水先案内の職業、運上所で扱う税関と外交の港務などは、全く新しい港のために現われて来たもので、ちょうど入港した一|艘《そう》の外国船も周囲の単調を破っている。
その時、牡丹屋の亭主は波止場の位置から、向こうの山下の方角を瑞見や寛斎にさして見せ、旧横浜村の住民は九十戸ばかりの竈《かまど》を挙《あ》げてそちらの方に退却を余儀なくされたと語った。それほどこの新開地に内外人の借地の請求が頻繁《ひんぱん》となって来た意味を通わせた。大岡川《おおおかがわ》の川尻《かわじり》から増徳院わきへかけて、長さ五百八十間ばかりの堀川《ほりかわ》の開鑿《かいさく》も始まったことを語った。その波止場の位置まで行くと、海から吹いて来る風からして違う。しばらく瑞見は入港した外国船の方を望んだまま動かなかった。やがて、寛斎を顧みて、
「やっぱりよくできていますね。同じ汽船でも外国のはどこか違いますね。」
「喜多村先生のお供はかなわない。」とその時、十一屋の隠居が横槍《よこやり》を入れた。
「どうしてさ。」
「いつまででも船なぞをながめていらっしゃるから。」
「しかし、十一屋さん、早くわれわれの国でもああいうよい船を造りたいじゃありませんか。今じゃ薩州《さっしゅう》でも、土州《としゅう》でも、越前《えちぜん》でも、二、三|艘《そう》ぐらいの汽船を持っていますよ。それがみんな外国から買った船ばかりでさ。十一屋さんは昌平丸《しょうへいまる》という船のことをお聞きでしたろうか。あれは安政二年の夏に、薩州侯が三本マストの大船を一艘造らせて、それを献上したものでさ。幕府に三本マストの大船ができたのは、あれが初めてだと思います。ところが、どうでしょう。昌平丸を作る時分には、まだ螺旋釘《ねじくぎ》を使うことを知らない。まっすぐな釘《くぎ》ばかりで造ったもんですから、大風雨《おおあらし》の来た年に、品川沖でばらばらに解けてこわれてしまいました。」
「先生はなかなかくわしい。」
「函館の方にだって、二本マス
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